命の切り替え
今日、3月8日は、私の誕生日。
同時に、私の母の命日でもあります。
命の始まりの日と、命の終わりの日が重なる、私にとってはなかなかな運命の日です。
以来、3月8日を「命の切り替えの日」と思うようになりました。
何だか不思議で複雑な日なんですが、今年もこの一日を大切に過ごしたいと思います。
この時期に咲く水仙を見ると、母がそこに降りてきてるように感じます。
今年も、水仙のお花を飾ります。
2021年の命日の夜、瞑想をしながら、母と対話を試みました。
私から母へのご冥福を祈り、仕事のことについて何かメッセージはないか、尋ねてみました。
すると、こんなことを言っているようなイメージを受けました。
“パートナーを大切に、一緒に過ごしていれば、それで十分仕事を果たしている。
そこさえしっかりやっていれば、それ以外はおまけのようなものだ。”
このメッセージは、私にとってかなり衝撃的でした。
これからの私の人生で大切なお仕事は、パートナーと共に生き、支えること。
それを「仕事」というのであって、「会社に勤めて収入を得る仕事」とか「自営で稼ぐ仕事」とかっていう、いわゆる「仕事」というのは、人生においての「仕事」ではないのだと。
この母からのメッセージで、「仕事」の定義が変わりました。
そして、今まで、いわゆる「仕事」を主軸にして人生を考えてきてたんですけど。
その「仕事」は、実は私にとってはオマケ的なものである、という話。
この「仕事」についての捉え方の違いは、本当に目から鱗のような感覚でした。
で、そうなると。
私は、いわゆる「仕事」をどうしようか悩んでいたわけだけど。
それはもう、オマケのようなものだとしたら。
趣味のようなものなのかもしれない、と思うようになり。
趣味だとしたら、そんなに苦労してまでやらなくてもいいんじゃない?と思えて。
いや、苦労してもいいし、楽しくやってもいいし、まぁ、どうでもいいわけです。
オマケなので。笑
むしろ、やるべきでないのは、いわゆる「仕事」に重きを置きすぎて、パートナーと共に生きるという人生での「仕事」をおそろかにすること。
これはやっちゃいかんのです。
そこさえ押さえておけば、いわゆる「仕事」の方は好きにすれば?ってことなので、そんなに深刻に考える必要はないのか。
と考えるに至りました。
やりたかったらやったらいいし、やりたくなかったら、困らない程度働くのでいいってことかか、と。
だったら、いわゆる「仕事」の方は、楽しく働ける方がいいよねー(´ー`)
って、楽ーな感じに考えてもいいんじゃなか、と。
ちょっと、肩の力がいい感じで抜けました。
お母さん、ありがとうございます。
kayoko@Tully‘s cafe