隈研吾展@高知県立美術館 −隈研吾建築の魅力について−
高知県立美術館で、あの有名な建築家・隈研吾さんの個展があるとのこと。
で、 「よし、行ってみよう!」と思ったものの。
高知県立美術館の隈研吾展のページを読んでみると、 テーマが
「新しい公共性をつくるためのネコの5原則」
ってあって。
新しい公共性?
何でネコが出てくる?
5原則って何??
って感じで、建築のことなど素人の私には、謎なワードだらけ。(^ ^;)
「いやー、これは私は楽しめそうにないなー」と最初は思ったのですが。
それに、素人の私が何の予備知識もなく、いきなり展示を見に行っても、きっと「ふーん」程度の反応で終わりそう。(^^;)
でも、私は美術館好きだし、美術鑑賞も素人なりに興味はあるので。
せっかくなので、これを機に建築作品の鑑賞がちょっとでも楽しくなれば・・・ と思いまして。
ちょっと自分なりに、隈研吾さんとその建築作品について下調べをしてみました。
すると、なかなか面白かったので!(^。^)
今回調べた予備知識を元に、実際に展示に行ってみたら、きっと少しは楽しめるようになっていそうな情報が色々あったので、書き留めておきたいと思います。
隈研吾展の概要
まずは、先に紹介した、高知県立美術館の隈研吾展のページをじっくり読んでみました。
今回開催される隈研吾展は、隈研吾さん作品の大規模な個展とのこと。
今回の個展の内容
・公共性の高い建築作品を中心に30件展示されている
・その全てに隈研吾さん自身の作品解説が付いている
・展示方法は、模型、写真、モックアップ(外見を実物そっくりに似せて作られた実物大の模型)
・5原則によって分類されて展示されている
・隈建築の特徴は、その土地の環境や文化に溶け込むように設計されているので、隈建築作品がいかに街と関係性を結んでいるかなども解説されている ということのよう。
建築を学んでいる人や建築士の方々にとっては、これだけで「面白そう!学びたい!」ってなるのかもしれないんですけど。
素人の私には、これではまだピンとこない内容。(^^;)
テーマ「新しい公共性をつくるためのネコの5原則」の意味
また、テーマについて読んでいくと
・5原則=「孔」「粒子」「ななめ」「やわらかい」「時間」のこと
・「ネコ」とは、「ネコの視点から都市を見直すリサーチプロジェクト」から
・このリサーチは、これからの都市の姿について、従来のように上から都市を見るのではなく、下から見る「ネコの目線」で提案していく、という観点
・そのリサーチ結果を、3DのCGや、プロジェクションマッピングで紹介
・このリサーチから、未来の都市のあり方や、「新しい公共性」づくりを見出していく
ということのよう。
これで、なんとなく、謎な部分は少し具体的に分かってきたものの。
それでもまだ、「これ私が観に行って、楽しめるんかなー?」な感じ。
隈研吾さんのメッセージで親近感が湧きました
そこでさらに、「展覧会特別ウェブサイト」のリンク先に飛んでみると、
隈研吾展 新しい公共性をつくるための🐱の5原則 | KUTVテレビ高知
隈研吾さんの、今回の展示に寄せてのメッセージが書かれていて。↓
僕が事務所を始めて、バブルがはじけたりして大変なことがあったちょうどその時に、梼原町で、自分の建築の方向性とでもいうべきものを見つけることができました。ものすごくお世話になり、思い出もたくさん詰まった高知県という場所で展覧会ができるということを、楽しみにしています。
あー、そういえば。
確かに高知県の梼原町に、隈研吾さんの建物がいくつかあったなー。
ちなみに、梼原町は私が幼少期に育った津野町の隣町。
隈研吾さんの建築作品にも、昔いくつか訪れたこともあったわ、と。
で、この梼原町と隈研吾さんのことで、ちょっと親近感が湧いてきた私。(^ ^)
でもまさか、梼原町にあるあの建物が、隈研吾さんの建築人生のターニングポイントになっていたとはつゆ知らず。
そこで、梼原町の隈研吾さんの建築作品について調べてみました。
隈研吾さんの建築人生のターニングポイント:梼原町の建築作品
まずは、こちらの梼原町役場のサイトをチェック。↓
隈研吾の小さなミュージアム - 高知県梼原町は隈研吾建築が集まった小さなミュージアムです。
実は、梼原町は隈研吾建築のミュージアムになっていた!
このページの中に、「ムービーギャラリー」という5つの動画があるのですが。
これを観て、隈研吾さんと隈建築についての理解がグッと深まりました。
なぜ梼原町?
そもそも、なぜ隈研吾さんが、この高知の山奥の梼原町とご縁ができたのか?なんですが。
隈研吾さんは、1992年に初めて梼原町を訪れたのですが、その頃、日本経済はバブルが崩壊して不景気に突入。
隈研吾さんも仕事がなくなり、時間も十分にあったそう。
そんな中、梼原町にいるご友人からの誘いで、梼原町を訪れたのが始まりなんだとか。
「ゆすはら座」との出会い
その友人の方は、梼原町に古くからある芝居小屋「ゆすはら座」を保存している方で。
その「ゆすはら座」の建物は、隈研吾さんがそれまで見てきた劇場とは全く違った印象を与えたようなんです。
木の温もりや柔らかさ、舞台と客席の関係性など、隈研吾さんにとっては未知の概念と出会ったかのようで、この「ゆすはら座」から多くを学んだそうです。
梼原町にある隈研吾建築作品は、この「ゆすはら座」 という古の建物からインスピレーションやアイデアを受け、現代の建物に応用してつくられたのだそう。
梼原町の深い自然による影響
隈研吾さんが初めて梼原町を訪れた時、梼原町に入るトンネルを抜けた時に、目の前に広がる景色を見て「まるで雲の上の楽園だ」と思ったんですって。
その景色は、「日常の中の非日常」のようで、その深い山間の景色にリラックスできたそう。
そして、梼原町との交流が深まっていく中で、木材の可能性に気づき、建物と自然の調和を考えるようになり。
そして、それまでの都会でのコンクリートの建築から、デザインの方向性が変わり。
さらにには建築だけでなく、人生までも変えてくれたのが梼原町だったそうです。
梼原町の6つの隈研吾作品
今や世界的にも有名な建築家である隈研吾さんの建築作品が、この高知のド田舎の梼原町に、なんと6作品もあります。
どのような建築作品があるのか? 時系列で紹介します。
1 雲の上のホテル 1994年完成
隈研吾さんが梼原町で最初につくった建築作品が、ホテル「雲の上のホテル」です。
このホテルの前には池があるのですが、その池は、梼原町の美しい棚田の景色と風と光をデザインに取り入れたものだそうです。
2 梼原町総合庁舎 2006年完成
庁舎というと、オフィスビル系の佇まいを想像しがちですが。
「心地よい空間をつくりたい」という思いからつくられたこの庁舎は、玄関の扉がめちゃくちゃ大きくて。
この扉をバーンと大きく開くと、外の自然の世界や風や光が庁舎内へと自然と入ってきて、建物の外と内側の空間が一つにつながるような設計になっています。
3 まちの駅ゆすはら「マルシェ ユスハラ」 2010年完成
雲の上のホテルの別館の1階にある「マルシェ ユスハラ」は地場産市場のお店になっています。
この建物の特徴は何といっても「茅葺」を使っているところ。
梼原町には「茶堂」という400年の歴史を持つお堂があって、梼原町の文化遺産でもあるんですが。
このお堂が茅葺の建物なんですね。
「この茅葺の建物、梼原らしいな」と感じた隈研吾さんが、この建物に茅葺という素材を取り入れたとのこと。
現代建築にはない「柔らかい」「温もり」のある素材は、リラックス効果があって、リゾートホテルのデザインでも使われています。
4 木橋ギャラリー 2010年完成
梼原町にある橋をヒントにつくられたこの建物。
ふんだんに使われている木材が経年変化により深みを増して美しくなり、町に溶け込んでいくことをイメージしてつくられたようです。
コンクリートや鉄筋では表せない、木材ならではの美しさが感じられるデザインになっています。
5 梼原町立図書館「雲の上の図書館」 2018年完成
訪れる人にとってのリビングになるように設計したというこの図書館。
「図書館」という本来の役目だけでなく、この空間で過ごすこと自体が目的になるよう、居心地のいい空間づくりがされています。
館内は一つの大きな空間になっていて、階段が随所にあり、天井や柱に木材が枝木のような形で使われていて、まるで「森の中の図書館」のような雰囲気です。
子どもたちがこの「森の中の図書館」を自由に駆け回りながら、森の中の面白いお宝を見つけるように本を選び、広い階段スペースで自由に本を見ながら遊べるような、楽しく図書に触れられる空間になっています。
また、図書館のお庭との関係もデザインされていて、四季折々に変化するお庭の表情も楽しめます。
6 YURURIゆすはら
「YURURIゆすはら」は、在宅と特別養護老人ホームの中間的な役割を持つ、複合的な福祉施設。
建物の外壁には梼原産の杉板、内装には町内製作の手漉き和紙をはじめとした自然素材が使われています。
海外でも高く評価されている梼原町のプロジェクト
隈研吾さんのパリの事務所での海外プロジェクトを進める中で、隈研吾さんはこの梼原町のプロジェクトをよく実例として挙げるのだそうです。
居心地の良い空間づくりが魅力の隈研吾建築は、フランス人などにも高く評価されているようです。
これらの梼原町の隈研吾建築作品ページはこちら↓
隈研吾建築に影響を与えた梼原町の自然と歴史
梼原町の隈研吾建築作品を訪れる際に、合わせて訪れたい梼原町の風景や建物などです。
・千枚田・・・山の傾斜に広がる棚田の美しい気色
・ゆすはら座・・・小さな劇場小屋
・茶堂・・・400年の歴史を持つお堂
・梼原川
・三嶋神社
・神幸橋(みゆきばし)
・太郎川公園
・まろうど館(観光案内所)
隈研吾さんの建築家人生
梼原町の隈研吾作品を見ていく中で、木材を使った柔らかくて温もりのある建築が、地域の景観に馴染んでいって、その土地の建物として根づいていくっていうのが魅力の一つなのかな、と何となく理解した私。
そこでさらに、隈研吾さんがどういう流れでそのような建築スタイルを確立していったのか?を知るべく、隈研吾クロニクルの動画を見て調べてみました。
10歳で建築家になることを決意
隈研吾さんが10歳の頃、1964年の東京オリンピックの際に建設された代々木競技場を見て、「この建物誰がつくったの?」と父親に尋ね、「丹下健三っていう人だよ」と教えてもらった時に、建築家になろうと決めたんだそうです。
東京大学大学院 工学部建築学科を修了
丹下健三さん他、尊敬する建築家が東京大学を卒業していたり教鞭をとっていたため、隈研吾さんも東京大学で建築を学ぶこと選んだそうです。
1979年 日本設計に入社
大学のクラスメイトの多くが個人住宅の設計の道に進む中、隈研吾さんは「社会や人々から学びたい」と考え、都市デザインや環境計画を手がける日本設計に入社。
1986年独立 隈研吾建築都市設計事務所 設立
独立した当時は日本の景気も良く、スタートは絶好調だったそうです。
1992年 設計の理念が大きく変化
1990年になる日本経済の好景気も終了し、それまでの仕事もどんどんなくなっていきます。
そんなタイミングで訪れた高知県の山奥の梼原町で、木造建築の新たな可能性を見出し、設計の理念が大きく変化したといいます。
2000年以降 海外プロジェクトも
隈健吾建築が海外からも評価を受けるようになり、海外プロジェクトも進められてます。 様々な国からの200人のスタッフを抱える東京の事務所の他に、パリにも事務所があり、グローバルに活動されています。
その一方で大学でも教え続けていて、多方面で活躍されています。
2020年 国立競技場
2020年の東京オリンピックに向けてつくられた国立競技場。
そのデザインを手掛けられたことは、誰もが知るところだと思います。
10歳の頃に建築家になろうと決めた1回目の東京オリンピックから時を経て、2回目の東京オリンピックのために国立競技場をご自身がデザインすることになった、というこの巡り合わせにもちょっと感動します。
国立競技場のデザインについて、「これほど大規模なデザインは初めて」とのこと。
また、国立競技場の設計に隈研吾さんのデザインが選ばれたことについては、「時代が木造のスタジアムを求めていたのだろう」とご本人はおっしゃっています。
1回目の東京オリンピック時の高度成長期の日本が価値を置いていた、コンクリートなどによる近代建築から、木材をふんだんに使った自然と温もりを感じる隈研吾さんの建築デザインが、今の時代の潮流に沿ったのかもしれません。
隈研吾さんの建築の魅力まとめ
今回、高知県立美術館で隈研吾展が開催されることをきっかけに、建築作品の鑑賞の楽しみ方を探ろうと調べてみたのですが。
高知在住の私にとっては、梼原町というすごく身近なところに隈研吾さんの建築作品があったことで、すごく親近感が湧いてきました。(^ ^)
また、高度経済成長期以降の近代建築から現在に至るまでの、隈研吾さんの建築家人生やデザインの方向性の変遷などを知り、木材などの素材の柔らかさや温もりを引き出す木造建築を「公共の建物」に活かしている魅力などが分かってきました。
その上で、今回の隈研吾さんの展示の内容を改めて見直すと、「なるほど、面白そう。」って思えるところまできて。
建築については全くの素人ですが、それなりに鑑賞を楽しめそうだな、と。
さらに、この展示と合わせて、「梼原町の隈研吾建築作品を鑑賞しに行く」というローカル旅も楽しいかも、と思いました。
ということで、隈研吾さんの建築の魅力を感じるための下調べでした。
隈研吾展@高知県立美術館ページ
kayoko@おうちcafe
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